コロナ哲学 ~自粛中の高校生が哲学書を9冊読んでみて、9冊撮ってみたら

コロナ哲学 ~自粛中の高校生が哲学書を9冊読んでみて、9冊撮ってみたら

家にこもって、受験勉強しつつも、
なんだ、この胸騒ぎは。

なんにもしたくないのに、何かがしたい。

そわそわしてるのに、カラダは動かない。

コロナブルー??

気づいたら、本を読んでた!

読み終わったら、写真撮ってた!

【指導者より】勉強の習慣はダメッダメだけど、自由な民としての学問(リベラル・アーツ)は大好きっ子。

魔の山 トーマス・マン著 高橋義孝訳 新潮文庫

ドイツ人のハンス-カストルプ青年は結核を患ういとこを見舞いにスイスのサナトリウムに足を運ぶ。そこで彼は人文主義者のセテムブリーニやイェズス会士の虚無主義者ナフタとの対話、恋、瞑想、いとこの死、そして彼自身の結核との診断を経て自己と人格を獲得形成していく。

印象深いシーンをあげるとすればセテムブリーニとナフタの激しい舌戦、カストルプの冬山でのスキー、論敵同士の決闘の3つ。

セテムブリーニとナフタ間で繰り広げられる、神や古典世界、哲学などの深遠なテーゼに言及した教養的でいて苛烈な論戦は圧倒的な迫力と筆舌に尽くしがたい魅力を持つ。

カストルプの山でのスキーの場面には少なからず瞑想的な意味合いが含まれ、この場面においてカストルプ青年は自己の人格に関してなんらかの答えというべきものを手に入れたように見える。

物語の終盤でナフタはセテムブリーニに決闘を申し込む。決闘のそのとき、ピストルを空に向けて撃ったセテムブリーニに対してナフタは「卑怯者!」と叫び、自殺する。最後まで思慮深い態度であったセテムブリーニとは対照的に、破壊的な欲に駆られたナフタはこの時代のドイツに影を落とした敗戦と忍び寄るナチスを思わせる。

そして第一次世界大戦の勃発によって、乖離していた、サナトリウムにおける時間の流れと外界におけるそれは融合し、物語は唐突ともいえる終わりを迎えるのである。

全体を通して生と死、肉体(命)と精神が鮮やかに対比され、文章の緻密さと表現力には驚かされる。また登場人物たちの会話やカストルプの思索からはトーマス・マンの音楽、芸術、文学、語学、哲学、思想などといったものに関しての造詣の深さと教養がありありとうかがえる。

【指導者より】本来の受験勉強より、どう考えても写真の技術と、西洋文学学んじゃってるよね。
もう、大学にいるみたいなもんじゃんか!

自由な民よ。
もはや、大学の授業に忍び込むがよい!

ああ、
でもあれか、今はzoomだから忍び込むと本当にやばいやつか(^^)。。。

 

 

大学教育について J.S.ミル著  岩波文庫

ミルは大学は職業訓練の場所ではないと述べ、大学の役割とは有能で教養ある人間を育成することであると説明する。
ただし、有能であることは単に専門的な知識を持っているというだけではあり得ない。
では、有能で教養のある人間とはどういう人間かといえば、それは哲学的な態度を備え、知識と精神を正しく活用する人間のことである。

ミルはこの著作で、教養とはなにか、なぜ教養が必要であるかについての有意義な議論を提供し、また一般教養として学ぶ学問の効用の詳解を通して、私たちに学校や生活ではあまり取り沙汰されない教養に対する深い見解を与えてくれる。
文系理系の分離、就職重視、芸術軽視の日本の教育について改めて考える必要があると感じさせてくれた。

【指導者より】大学はもちろん、世のあらゆる組織のあり方が問い直されている今、
古典に戻って、それを学ぶ姿勢。あんたはエライわ!

まさに、目まぐるしく変化する状況や新情報に揺さぶられずに進むには、
「哲学的な態度」が必要だよねぇ。

 

 


パイドン プラトン著 岩波文庫

青年を腐敗せしめた咎で死刑を求刑されたソクラテスと彼の弟子たちの対話とソクラテスが毒を飲んで死ぬその瞬間がソクラテスの弟子の一人であるパイドンから語られる。

ソクラテスは対話の中で魂の不死を証明を試みる。特にイデア論による証明は本書の山場であり、凄まじい展開になる。

ところで、弟子のシミアスとケベスの鋭い反論も見ものだ。
彼らの反論は断じてソフィストのそれとは異なる誠実なものであった。だからこそ彼らは議論に、ふさわしい高尚さを獲得せしめ、またソクラテスの見事な反駁を導いたという点で、逆説的に、ソクラテスの主張に説得性を与えることができた。そして私たちには彼らの真理を求めるストイックな姿勢を提示するのである。

時が来て、対話は終わる。ソクラテスは死ななくてはならない。しかしソクラテスは毅然としてうろたえる様子を全くみせない。

ソクラテスは対話の中で、「哲学者は日頃死ぬ練習をしている」と語った。(死とは魂と肉体の分離されること。)すなわち、哲学者は肉体を離れ、本質それ自体、形而上の存在になろうと努力しているということをいう。だからソクラテスは死を恐れない。それどころか死を喜びさえするのである。

そうして、ソクラテスは、友人たちの悲しみの涙をよそに、自然に穏やかに平然として毒を飲んで死んだ。

本書全体を通しては、ソクラテスの証明からはソクラテスはもちろんだがこれを著したプラトンの非常な頭脳の明晰さが窺える。

ソクラテスとシミアス、ケベスの驚くほど明晰な頭脳と頭脳の闘いは、これを読んでいる私たちの精神さえをも先鋭にし、知性には光を投じる。
悪い点があるとすれば、不明瞭な前提に立脚して展開される理論がしばしばみられるところだろうか。

対話の内容(霊魂の不滅とかイデアとか)は、私たちの価値観とは大いにかけ離れているため、これを受け入れるのには少し時間がかかるだろう、またこのような話を大真面目に信じて議論する人は少ないだろうから、実生活に取り入れて役立たせることはまずできないだろうと思う。
しかし、注目すべきは対話の実質の内容ではなくて彼らの真摯な哲学に対する態度ではないだろうか。

物事の真理や原理や根源あるいは本質といったものを究めようと努力するその気構えこそ、私たちがこの対話から見出し、見習うべき事だろう。
近頃は、学校や塾という受動的学習機会を失うことになったために、勉強の根本的なところに立ち返ってみる必要を強いられることもあるだろう。

【指導者より】なんとも、理不尽なコロナ騒動。
人生に訪れる、そんな理不尽さこそ「哲学的な態度」が芽生えるときなんでしょうね。

 

読書について ショーペンハウエル 岩波文庫

多読と悪書を辛辣に批判し、正しい読書の方法を提示する。

まず、
読書とは思考の代替装置であるから、長時間の読書に浸かり思索を放棄すれば、精神は退廃の様相を呈するようになる。
つまり、問題なのは、読書に頼りすぎることだ。本を読むだけではなく、自分の頭でしっかり考えることが何よりも大切なのだと説く。

悪書がいかなるものであるかについて語る前に良書がいかなるものであるかについて語れば、良書とは古典のことで、逆に悪書とは大々的に宣伝されたり流行といって持て囃される新刊の本たちである。そのような本たちは読者の限りある時間を奪い取るばかりではなく精神を破滅に至らせまでもする。

良書を読むためにはまず悪書を読まないことだ。悪書を読まない最も簡単なコツは古典を手に取ること。時間の洗礼を受けた古典にはほとんど間違いがない。
加えて、反復して読むことも重要である。全体を頭に入れてからもう一度読むと、内容には前回とは違った角度からに照明が当たるから。

本の読み方から本の選び方まで親切に説明してくれているありがたい本。
読書を本格的に始める前とか、まず何を読むべきか迷ったときにはこれを手にとってみると良いかも知れない。

書物があふれる現代で、確かな読書の指針を提示してくれる、航海における灯台のような存在。
多読に人生の時間を無駄に消費することのないようにするためにも、一度読んでおいて損はない。本の読み方なんて誰も教えてくれないから。

【指導者より】
明治の電力王と呼ばれた、松永安左エ門は、
『実業人が実業人として完成する為には、三つの段階を通らぬとダメだ。第一は長い闘病生活、第二は長い浪人生活、第三は長い投獄生活である。このうちの一つくらいは通らないと、実業人のはしくれにもならない。』
と言ったそうです。

コロナ騒動は、闘病生活・浪人生活・投獄生活の、どれとも違うけど、共通していることがある。
どれも、じっくりと本を読める時間だということ。

 

自由論 J.S.ミル著 岩波文庫

ミルは、自分以外の他者や社会に危害を及ぼさない限りを個人の自由の限界とし、自由がなければ社会の向上はありえないと論じる。

書かれている内容は、現代の思想との親和性が高く、誰でも苦労せずに納得できるものと思う。
例えば、個人の自由の限界を規定する「自由の原理」は今日私たちが思う自由の限界と一致する。
また、民主政治における少数者たちにも触れているし、思想の抑圧に関する議論も取り扱う。

自由とはそもそも何か、なぜ自由が必要であるかという誰でも一度は持つであろう問に丁寧に答えてくれる。

そして、私たちがいかに曖昧な意味で自由という言葉を濫用していたか、自由の常識がいかに脆弱な基盤の上に築かれていたかに気付かされる。そのために、近頃も自由に関する議論をありえないほど愚かな形で平然と行ってしまう人がいるのだろう。

学校で説明される、あるいは社会通念として用いられる自由の意味というのは誰かによって解釈され薄められたものにすぎない。
現在とほとんど同じ意味での自由を体系的に論じる本書から、自分なりの解釈を発展させ、学校で習うそれに注釈をつけてやるのがよろしいかと思う。

こういう本は、あらゆる社会の常識が再確認される今だからこそ読むと面白い。

【指導者より】
なんか、本の受け取り方が、どんどん深くなっていくような、、、(^^)、、。

いやあ、ミルもあの世で、「この状況だからこそ、『自由』を論じてぇ!」
って言ってるでしょうねぇ。

 

方法序説  デカルト著  岩波文庫

理性を正しく導き、真理を探究するための方法に関する序説。序説というのは、もともとこの方法序説がデカルトの論文集の序文だったことから。

本書は六部構成の短い文章で、デカルトは真理を探求するための方法を説く。
特別注意を向けるべきは第二部、第三部、第四部だろう。
第二部では4つの規則に、第三部では3つの格率に、第4部では「我思う故に我在り」に言及する。

4つの規則とは、「速断と偏見を避けそれ以外真ではありえない場合以外にはそれを判断に含めないこと」「問題を小さく分割すること」「単純なことから始めること」「見直しをすること」である。
デカルトはこれらの規則を物事の正しい認識のために定めた。

次に、デカルトは理性が非決定である間にも行動ができるようにまた幸福にあることができるように3つの格率を定めた。第一の格率は、国の法律と慣習に従うこと。第二の格率は、一度決めたことはやり通すこと。第三の格率は、世の中を変えるより自分を変えること。

デカルトはあらゆるものを疑い、偽とした。だが、それを考えている自分だけは偽ではありえず確かに存在するということに気づく。全てのものの存在を疑い否定するその意識、すなわち我の存在だけは否定できないのである。無を仮想しても自分の存在が無であるとは仮想できないのだから。
ここでデカルトは「我思う故に我在り(Cogito ergo sum)」という真理に至る。

ラテン語教養のない一般市民に向けてフランス語で書かれた文章であることから文章内容も易しくまた文量も少ないためわけなく読めるので、誰にでも勧められる。

また、デカルトの定めた思考と行動の形式は、学問とか科学の研究の際にはもちろん念頭に置くべきものであるが、実生活においても幅広く応用して使えるものであるから、誰にとってもこの方法序説を読む価値はとても高い。

例えば、ある大きな困難に対してただ呆然とするのではなくて、その困難を分割して少しづつ解決していけば良い。また、どうしても解決できない困難(王様になりたいとか)に出会ったときには、困難に自分の調子を合わせる。

なにか不安な時、うまく行かない時にはデカルトの規則を思い出して行動してみると良いかもしれない。
方法序説は、世界で一番のハウツー本である。

【指導者より】
写真の背景に、そっとラテン語の辞書忍ばせて、ラテン語女子?
からの人気を誘ってるな!

そろそろはじまる? 学校で
「コロナ中に何してましたか?」的な自己紹介で?

「デカルト読んでました。」→→「…・ω・… ふ、ふ~ん。」

っていうやつ、ぜってーやれやってほしいな~。

世の人々やメディアが煽るすべては疑わしく、そして、

れ思う。

 

グレート・ギャツビー  スコット・フィッツジェラルド作

大戦後二十年台アメリカの狂乱と喧騒にまみれたきらびやかな世界。その影にうつる空虚さと哀愁と頽廃。
淡く霞む視界、何もかも夢のような世界でギャツビーは美しい夢を、それは過去という永遠性に歪められた朧(おぼろ)な幻想であるが、彼はそれを現実にありえるものだと信じて疑わず追い続ける。

だが、熱病のみせる幻覚は季節の移り変わりと共に消えていく。
そんなギャツビーの姿は滑稽だが、その滑稽さこそがギャツビーを偉大ならしめるそのものでもあるのだ。

グレート・ギャツビーの文章には繊細な読みにくさがある。ざっと一度読んだだけでは作品の魅力を十分に感じることはできないだろう。だから初めは難解に感じる。

しかし何度も読むかあるいは丁寧に読み細部に目をやることで、立体的で複雑な構造や筆致の美しさが明らかに見えてくる。

読むたびに面白さが増してくる味わい深い小説である。複数の翻訳を見比べるとより楽しい。

【指導者より】
なんだか物悲しいのにかっこいい。同じ人生を歩みたいとは思わないけど、憧れる。
本や映画ならではの、自分じゃない自分を体験できる物語だよな~。


生の短さについて セネカ著 岩波文庫

人生は短いと嘆く人がいる。だが、時間を活用するならば人生は何かを成し遂げるのに十分に長い。
生を永遠だと思い、時間の浪費に気を止めることもせず、そして誰かあるいは何かのために時間を無駄にする者の人生は短い。逆に、現在を自分のためだけに意志する者にとっては、人生は十分に長い。
すべてはその人の心と意志の問題なのである。

セネカは本書で、どのような行為が時間の浪費であるかについては具体的に教えてくれているのだが、では一体どのような事をすれば時間を活用したことになるのかについては教えない。だから、各人が自分にとっての偉大な事業を見出すしかない。

およそ二千年も前の文章なので、わかりづらさはあるものの、普遍的な命題に言及している。
だからセネカの批判は現代人にも当てはめることができる。
そういう人間は、例えばSNSにどっぷり浸かる者や、人脈のためにで駆けずり回る愚か者どもである。もし彼らの友人の中に、ソクラテスより優れた人物が一人でもいるというのなら、それは時間の浪費にはならないのだが。
そういうわけで、その内容は今でも色褪せることがない。

人間は、普遍的に、忙殺される生き物なのだが、一度立ち止まって考える瞬間も人生には必要である。

【指導者より】
突然、自由を奪われて、自分のやりたいことがやりたいようにできなくなったとき、
急に、暇な時間ができたときに、自分はどうするのか?

思考実験や想定ではなく、そんなリアルな体験をできた私達は、幸せなんだと思います。
自由や広がりの象徴みたいなスマホやSNSも、むしろ自由を奪う代物だったと気づくなら、まさに禍福はあざなえる縄のごとし。
コロナのおかげですよねぇ。

 


怒りについて セネカ著 岩波文庫

怒りとは破壊的な情念であり、悪である。そして、怒りは一切の効用を持たない。

怒りは、人間が、他者が自分に不正が加えられたと感じ、他者を罰したいという欲求から発する。怒りは衝動的で、狂気に似る。

人は怒りの衝動に駆られている時は正常な判断ができない。だから、取り返しのつかないことをやらかしてしまう。そして正気に戻ったときには後悔するのである。

怒りは衝動であるから、怒りを鎮めようとする意志は通用しない。だが時間が経てば次第に薄れる。だから怒りを感じた時にまず行うべきは猶予と遅延である。
あるいは、そもそも彼に不正の意図があったかを確かめよう。

セネカは、怒りとその原因を分析する。そして、怒りの無益さを説き、鎮める方法を提示する。
怒りは有益であるとする説に反論しつつ、怒りに関する歴史上の人物たちの行動を例として示しながら話は展開するという、わかりやすい構造になっている。

セネカの分析は実に的確で、自分に照らしてもだいたい当てはまるので、すらすら読みすすめることができた。
本書の内容は多分、流行りのアンガーマネジメントの最初期の形だろう。それ系の自己啓発本を読むくらいならこちらを手にとったほうがおそらく有益である。

【指導者より】
そうですねぇ。おっさんになると、「怒り」がぜんっぜんプラスがないじゃん、「怒る」なんてバカジャンってたくさん学んで、抑えたり、そもそも感じなくなっていくようです。

でも、おっさんになった自分が、10代20代の自分に、怒りをコントロールすることを諭したいか、というとどうかな。

怒りをなくすことで、得るものも大きいだろうけど、怒りとつながってた大切な何か、もなくしてしまうような気がするから。
怒りに利はないが、10年20年たって、バカダッタ~と振り返れるほうがなんとなく幸せな人生なのかもと思うのです。

 

超暇になった若者たちは~その2(^^♪

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