こちらの記事で簡単に触れましたが、
「プログラミングできないと、大学行けないらしい!」
という話が広がっているようで、塾業界は「プログラミング教育」を新たに始めようと、”大騒ぎ”になっています。
文部科学省が、平成28年(2016年)6月16日に公開した文書では、
(赤字は筆者。長いので、赤字だけ読んでいただいても伝わるかと。)
○ 小学校段階におけるプログラミング教育については、学校と民間が連携した意欲的な取組が広がりつつある一方で、コーディング(プログラミング言語を用いた記述方法)を覚えることがプログラミング教育の目的であるとの誤解が広がりつつあるのではないかとの指摘もある。“小さいうちにコーディングを覚えさせないと子供が将来苦労するのではないか”といった保護者の心理からの過熱ぶりや、反対に“コーディングは時代によって変わるから、プログラミング教育に時間をかけることは全くの無駄ではないか”といった反応も、こうした誤解に基づくものではないかと考えられる。
○ プログラミング教育とは、子供たちに、コンピュータに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などを育むことであり、コーディングを覚えることが目的ではない。こうしたプログラミング教育についての考え方や、小学校段階における具体的な在り方等を… (以下略)
一言で言えば、「プログラミング教育」は、
キーボードで「コンピューターの言語」をパチパチ打ち込む作業を意味しているのではなく、
「コンピューターに何をしてあげれば、何をしてくれるのか?」を学ぶのです。
たとえるならば、
「英語教育」は、全員が「同時通訳」になるためのではなく、多くの日本人が外国の人と「仲良くなって」より多くの「仕事」や「楽しいこと」をできるためのものですよね。
要は、コンピューターと仲良くなるための教育である、ということです。
もうちょっと具体的な話をすると、
文科省が平成30年(2018年)3月に公開した「小学校プログラム教育の手引き(第一版)」にある、この図が、わかりやすいかもしれません。
仕事といえば、「職場の人と仲良くなり、仕事の成り立ちや道具の使い方を学び、人と共に歩んでいくもの」でした。
気づけば「人」の部分は変わりませんが、「道具」といえば、ほとんどが「コンピューター」とそれにつながる機械や電子機器に置き換わってしまいました。
30年前の小学生であれば、「ガリ版刷り」のプリントに描いてある正三角形がどうできるのか多くの生徒が知っていましたし、知らなくても自然と興味が持てました。
でも今、プリントに印刷されている正三角形が、どう作られるのかを理解できる子供はほとんどいません。
コンピューターというパートナーに「こうやって欲しい!」と、ルールどおり指示をすれば描いてくれる。
人には「想いと情熱」を、コンピューターには「手順と指示出し」を。そうやって、幸せなチームや家庭・社会ができていく。
入試や内申を無視して言えば
「外国人と仲良くなれる」ならば「英語学習」はいらないですよね。
同様に「機械やコンピューターと仲良くなれる」ならば「プログラム学習」はいらない、ということです。
ロボットづくりが心から楽しければ、「プログラム的思考」は必ず身につきます。
最後に
英語も数学も、人類が何千年もかけて、「学ぶという楽しみ」のためにつくりあげてきたものです。
「プログラミング教育」が大事だから子どもたちにロボットを学ばせるのではなく、コンピューターや機械を相棒にして、幸せな22世紀を見ることになる子どもたちに、私のもっているすべての人とモノへの情熱を伝えたい。
ロボット教室は、その一つの方法です。
★詳しいことを知りたい方は、
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