ユニティは、私が大好きな「塾」としてではなく「自習教室」として開校させていただきました。
「自習教室」というと、いっとき流行った「自立学習」的な教室を思い浮かべる方も多いと思いますが、考え方も運営もまったく異なります。
「自立学習」で、自分の意志で勉強ができる生徒さんなら、そのほうが安くて手軽に勉強ができますのでオススメです。ただ、私がつくりたい教室は「生徒さんの自立」に責任を持つことではなく、「生徒さんの成績、特に内申・通知表の向上」に責任を持つことです。
「自習教室」と「内申・通知表」にどんなつながりが?
長年、集団型の進学塾や個別指導の塾で教えてきて、「定期テストの得点を伸ばすことは難しくない」と感じています。ただ「内申・通知表」は、学校の先生達の真剣な評価の結晶です。テストの点数を上げるほど簡単ではありません。
たとえば、「目の色」です。 テストの得点は、こんな言い方もなんですが「塾が生徒さんを少し無理してリードして」上げることができると思っています。でも、それでは生徒さんの「目の色」は変わらない。「目の色」が変わらなければ、3は4になるかもしれないけど、少なくとも5にはならない。
「自分で学習する」ことを「教える」場所をつくるのは、この「生徒さんの目の色」を変える仕事をしたい、からです。
「内申・通知表」ってそんなに大事?
南高校附属中やサイエンスフロンティア附属中を含めて、いろいろな入試に学校の先生の評価が使われるようになりました。でも「所詮は、人的な評価でしょ?」「学校ごとに基準も違うよね?」と、批判の声もあります。
それでも、1890年代に「甲乙丙丁(こうおつへいてい)」や「優良可」ではじまったといわれる通知表が、100年以上たった今も同じ形で受け継がれているのはなぜでしょうか?
米国の大学が、日本の高校生の入学を受け入れる際に、ペーパーテストの得点だけではなく、高校の先生の人的評価をもとにするのはなぜでしょうか?
合理的に作成され、合理的に採点され、人為的なミスが絶対にゆるされない試験の得点と同じように、曖昧であって時に信用ならない「人間による人間の評価」が信頼できる、という直感があるからではないでしょうか?
ユニティに通う生徒のメリットは何?
塾、特に神奈川の集団塾は「テストの得点を上げ」「上位の高校に合格する」ためには、素晴らしい場だと思います。いくつも選択肢がありますし、全国的に見ても指導のレベルはかなり高いと感じています。
塾に通うと、学校の重みを1とするなら塾も1。1+1=2で、生徒さんの負荷は2倍くらいになります。わかりやすいのは「宿題」で、学校の宿題がこなせないと、塾の宿題もこなせない。
結果として塾の宿題をがんばって、学校の宿題が雑になる、ときには塾には通うが学校は休む、というようなことが起こったりもします。
私も、学校+塾=2倍の負荷で、高い成果を出すことを長年つづけてきましたし、生徒さんにとってその結果がどれだけ素晴らしいものかもよく知っています。
だから次は、学校の負荷は1のままで、その学習効果を1.5に増やし、ユニティが0.5の時間とコストを頂戴して、1.5+0.5=2の成果を生み出す場所をつくることにしました。